日本歴史地名大系 「鎧召村」の解説 鎧召村よろいめしむら 福島県:耶麻郡塩川町鎧召村[現在地名]塩川町四奈川(しながわ)赤星(あかほし)村・大沢(おおさわ)村の北、田付(たづき)川の東岸に位置する。慶徳組に属し、東は沖(おき)村、北は万力(まんりき)村。集落は東・西二つに分れている。村名は昔、新宮(しんぐう)城(現喜多方市)城主新宮次郎盛俊が当地で鎧を着し出陣したことから名付けられたという。一時、鎧目(よろいのめ)と称していたが、寛文年中(一六六一―七三)に旧名に復したという(新編会津風土記)。天文一二年(一五四三)に新宮熊野社(現喜多方市)の大祭で行われた田楽相撲の記録を同一四年一月吉日に書写した相撲田楽日記(新宮雑葉記)の番付第六番、取組第八番に鎧目とみえ、当地からも田楽相撲に参加していた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報