日本歴史地名大系 「塩川町」の解説 塩川町しおかわまち 福島県:耶麻郡塩川町面積:四六・二六平方キロ喜多方市によって東西に二分された耶麻郡のうち東半の南西部に位置し、北と西は喜多方市、南は河沼郡会津坂下(あいづばんげ)町・湯川(ゆがわ)村・河東(かわひがし)町、東は北塩原(きたしおばら)村・磐梯町に接する。町の南を西方へ流れる日橋(につぱし)川は姥堂(うばどう)川を合せた大塩(おおしお)川を右岸に入れ、町の中央南部で阿賀川に注ぐ。また町域西部では田付(たづき)川・濁(にごり)川の二河川(いずれも阿賀川水系)が南西流する。国道一二一号(旧檜原峠越米沢街道)・JR磐越西線が中央部を縦断する。 塩川町しおがわちよう 石川県:金沢市金沢城下第五連区塩川町[現在地名]金沢市長(なが)町二丁目・中央通町(ちゆうおうどおりまち)北東は長町、南西は下伝馬(しもでんま)町に接する。南東の出大工(でだいく)町に続く御荷川(おにかわ)橋から北西に延びる二筋の通りで、一筋は法船寺(ほうせんじ)町に、一筋は下伝馬町に至る。御荷川橋で分流した大野庄(おおのしよう)用水は当町沿いに法船寺町へ続く。町名は藩臣塩川氏が居住したことにちなむ。塩川氏は、万治二年(一六五九)小松に隠居していた前田利常の死去に伴い金沢へ帰還した藩臣の一人。延宝町絵図では当町北東端に塩川善左衛門・伝兵衛の宅地がみえる。幕末までは塩川和一郎、持高三五〇石(安政三年侍帳)。城下の火除地の一つが町内に設けられていたが、延宝町絵図では二筋の通りに挟まれた地全体を火除地と記している。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by