万力村(読み)まんりきむら

日本歴史地名大系 「万力村」の解説

万力村
まんりきむら

[現在地名]干潟町万力

鏑木かぶらき村の南の低地部に位置し、寛文期(一六六一―七三)からの椿つばき海の新田開発によって成立。元禄八年(一六九五)に初めて検地を受け、同年の検地帳(平山家文書)によれば二千二三一石余が打出された。なお同検地帳には万力村は鏑木村下椿新田と記されるが、同一〇年の金子借用証文(同文書)には「万力村六軒や」とみえる。同一三年頃の下総国各村級分でも同高で、幕府領。正徳三年(一七一三)の椿新田拾八ヶ村写(蜂谷家文書)によると、反別は田方二三九町一反余・畑方六二町七反余(うち屋敷二町余)、家数一二六(うち本百姓五三・水呑百姓七三)。椿新田各村は、太田おおた(現旭市)大寺おおでら(現八日市場市)諸徳寺しよとくじ村の三村名主四人(太田村から二人)が割元名主となって検地帳の保管をしていたが、同年当村と同じく椿新田村である夏目なつめ(現東庄町)幾世いくよ村・清滝きよたき村・大間手おおまて(現海上町)とともに、それまでの割元名主をやめて村ごとに名主や村役人、それに検地帳を置くことを願出た(椿新田開墾事略)

万力村
まんりきむら

[現在地名]塩川町四奈川しながわ

鎧召よろいめし村の北、田付たづき川東岸に位置する。慶徳組に属し、東は柴城しばじよう村。古くは一切経いつさいきよう村と称したといい、一切経の地名は昔、行者がひく一切経を積んだ牛車の牛が当地で倒れたので、経を石函に入れ埋めたことによるという(新編会津風土記)。天文一二年(一五四三)新宮しんぐう熊野社(現喜多方市)の大祭で行われた田楽相撲の記録を同一四年一月吉日に書写した相撲田楽日記(新宮雑葉記)の取組第三番に一切経とみえ、当地からも田楽相撲に参加していた。なお同日記には後筆で「貞享ノ後、万力ト改ム」との注記がある。文禄三年(一五九四)の蒲生領高目録でも一切経とみえ、高二六三石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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