鎮西町(読み)ちんぜいちよう

日本歴史地名大系 「鎮西町」の解説

鎮西町
ちんぜいちよう

面積:三九・一六平方キロ

東松浦郡の北西部の東松浦半島先端に位置し、東および南は唐津市に、西は玄海町に、北は呼子町と境する。北から北西は玄界灘に面し、馬渡まだら島・まつ島・加唐かから島の有人島は本町に属する。陸部は東松浦半島上場うわば台地特有の緩やかな丘陵地で、海岸は屈折の多いリアス式海岸で絶壁となっており、陸部の沈降でできた名護屋なごや浦は深い入江で、古来から船泊として知られている。壱岐・対馬(ともに長崎県)を結び朝鮮半島への最短の地で、中世倭寇の基地ともなり、文禄・慶長の役に豊臣秀吉はここに名護屋城を築いた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報