日本歴史地名大系 「鏡沼村」の解説 鏡沼村かがみぬまむら 福島県:岩瀬郡鏡石町鏡沼村[現在地名]鏡石町鏡田(かがみだ)現鏡石町の北西部、釈迦堂(しやかどう)川東岸の平地と丘陵に立地。奥州道中に沿う街村。「吾妻鏡」建保元年(一二一三)五月九日条に、和田平太胤長が配所の「岩瀬郡鏡沼」で誅されたとみえる。胤長の後を慕って下向した妻が夫の死を聞き、地内の影(かげ)沼に鏡を抱いて投身したことから沼の名を鏡沼といったと伝える(白河風土記)。天正一七年(一五八九)一一月二〇日の伊達政宗充行状写(伊達家文書)に「鏡沼」とみえ、二階堂氏旧臣浜尾駿河守盛泰に本領の替地として与えられている。なお「藤葉栄衰記」に同年の政宗の須賀川城攻めの際、二階堂方に属して抗戦した「鏡沼浜尾藤一郎」がみえる。文禄三年(一五九四)の蒲生領高目録に高八二四石余とあり、稲田喜介ほか一名の知行地。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by