存応(読み)ぞんのう

精選版 日本国語大辞典 「存応」の意味・読み・例文・類語

ぞんのうゾンオウ【存応】

  1. 安土桃山・江戸初期の浄土宗の僧。諱(いみな)慈昌。号は貞蓮社源誉。勅号は普光観智国師。武蔵国埼玉郡の人。増上寺第一二世で、中興の祖とされる。豊臣秀吉徳川家康の尊信を得、増上寺を貝塚(千代田区平河町付近)から現在地に移し、浄土宗規を制定し、また関東十八檀林を設けた。天文一三~元和六年(一五四四‐一六二〇

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「存応」の意味・わかりやすい解説

存応
ぞんのう
(1544―1620)

近世、浄土宗白旗(しらはた)派の高僧。貞蓮社源誉(ていれんじゃげんよ)、慈昌(じしょう)、普光観智国師(ふこうかんちこくし)ともいう。武蔵(むさし)国(埼玉県)埼玉郡由木(ゆき)の由木利重(とししげ)の次男として生まれる。存貞(ぞんてい)(1522―1574)、円也(えんや)(?―1584)に浄土宗義を学び、1584年(天正12)増上寺12世となり、1590年徳川家康関東に入るや、家康の宗教政策を利用して、増上寺を本山地位に押し上げ、浄土宗の檀林(だんりん)制度の基礎を確立した。家康の臨終時に十念を授与し、遺言によって増上寺での葬儀の導師を務め、境内に御霊屋(おたまや)を建てて供養(くよう)した。増上寺中興の祖といわれる。その門弟はきわめて多く、廓山(かくざん)、了的(りょうてき)(1567―1630)、呑竜(どんりゅう)、随波(ずいは)(1563―1635)、慶巌(けいごん)(1554―1617)、良阿(りょうあ)(?―1638)、潮呑(ちょうどん)、源受(げんじゅ)、智哲(ちてつ)、祖的(そてき)などがいる。著書に『論義浄土決択(けっちゃく)集』『浄土論蔵集』『十八通私記』などがある。

[廣川尭敏 2017年9月19日]

『玉山成元著『普光観智国師』(1970・白帝社)』『玉山成元著『中世浄土宗教団史の研究』(1980・山喜房仏書林)』

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改訂新版 世界大百科事典 「存応」の意味・わかりやすい解説

存応 (ぞんのう)
生没年:1544-1620(天文13-元和6)

近世初頭の浄土宗の僧。諱(いみな)は慈昌。貞蓮社源誉といい,勅号は普光観智国師。由木(ゆき)利重の子として,武蔵国埼玉郡に生まれ,10歳で出家,17歳のとき,存貞のもとに入室する。1584年(天正12)増上寺第12世となり,90年徳川家康の関東入にともない,その帰依を受ける。1605年(慶長10)増上寺の大造営を行い,08年江戸城で日蓮宗と論争して勝つ。10年後陽成天皇より国師号をたまわり,宗内第一の地位をえた。檀林(だんりん)制度の確立(関東十八檀林)や教団組織の整備をはかった功績は大きい。著書に《浄土論蔵集》1巻などがある。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「存応」の解説

存応 ぞんのう

1544-1620 織豊-江戸時代前期の僧。
天文(てんぶん)13年1月10日生まれ。時宗宝台寺の蓮阿(れんあ)にまなび,のち大長寺の存貞に師事して浄土宗に転じた。天正(てんしょう)12年江戸増上寺12世となる。同寺を中心とした檀林(だんりん)制度を確立し,発展の基礎をきずいた。元和(げんな)6年11月2日死去。77歳。武蔵(むさし)由木(ゆぎ)(東京都)出身。法名は慈昌。号は貞蓮社源誉。諡号(しごう)は普光観智国師。著作に「観無量寿経直談鈔」など。

存応 ぞんおう

ぞんのう

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朝日日本歴史人物事典 「存応」の解説

存応

没年:元和6.11.2(1620.11.25)
生年:天文13.1.10(1544.2.2)
江戸前期の浄土宗の僧。徳川家康の帰依を受け,浄土宗発展の基礎を築いた。諱は慈昌,諡号は普光観智国師。天正12(1584)年に増上寺12世となる。同18年に関東に入国した家康と関係を持ち,増上寺は徳川家の菩提寺となった。家康に政治的手腕を買われて浄土宗法度の作成に携わり,檀林制度を強化し教団の組織化をはかった。<著作>『浄土論蔵集』<参考文献>玉山成元『普光観智国師』

(林淳)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「存応」の意味・わかりやすい解説

存応
ぞんおう

[生]天文13(1544).武蔵
[没]元和6(1620)
江戸時代前期の浄土宗の僧。字は慈昌,貞蓮社源誉と号した。「ぞんのう」ともいう。 10歳のとき出家し,存貞に師事し,天正 12 (1584) 年に増上寺第 12代法主となり,増上寺の中興と仰がれた。徳川家康,秀忠の戒師となり,浄土宗規三十五条を定め,十八檀林を関東八州に設置した。慶長 15 (1610) 年に後陽成天皇に法を説き,天皇から普光観智国師の称号を許された。

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世界大百科事典(旧版)内の存応の言及

【学林】より

…江戸幕府は各宗の法度(はつと)で宗学研鑽のための就学を義務づけたが,また各宗でも宗学を中心とする仏教研究が急速に発展し,住職となるために一定期間学林などで学ぶことを求めた。その主要なものを示すと,浄土宗鎮西派では,中世に各地の談所が設けられたが,江戸時代初頭に増上寺存応は徳川家康と謀り,芝増上寺,小石川伝通院などの江戸五檀林と,鎌倉光明寺,武蔵鴻巣勝願寺などの田舎十三檀林の,いわゆる関東十八檀林を定めた。同宗西山派でも山城粟生光明寺,京都禅林寺などの七檀林を設け,同宗名越(なごえ)派でも下野大沢円通寺などの二檀林を開いた。…

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