長尾城跡
ながおじようあと
戦国期にみえる城。現林田と穂坂の境、杷木神籠石の遺構の上に築かれていた。秋月種実の属城として城番に木村甲斐守・同源太左衛門が置かれたと伝えられる(続風土記)。天正一三年(一五八五)閏八月一〇日前後に大友氏の軍勢が「長尾要害」を攻撃し、秋月勢と交戦している(九月二日「大友義統書状」檜垣元吉氏所蔵文書・同年閏八月一三日「大友義統合戦手負注文一見状」高瀬文書/大日本史料一一―一九)。
長尾城跡
ながおじようあと
黒沢川扇状地の扇端に位置し、東側は巾、北側は旧黒沢川の河床を堀に利用し、四周に土塁をめぐらせている。本郭は南北二五間、東西一四間、副郭は南北一〇間、東西一三間である。おそらく戦国時代西牧氏の東北方に対する出城(砦)であろう。当城の北小倉への山道沿いに若宮がある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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