長屋王墓・吉備内親王墓(読み)ながやおうのはか・きびないしんのうのはか

日本歴史地名大系 「長屋王墓・吉備内親王墓」の解説

長屋王墓・吉備内親王墓
ながやおうのはか・きびないしんのうのはか

[現在地名]平群町大字梨本小字前

梨本なしもと集落にあり、「大和志」に「双墓」として「在梨本村、一称長墓、左大臣正二位長屋王、一称宇司墓、二品吉備内親王」と記す。長屋王は天武天皇の孫、父は高市皇子、母は天智天皇の娘、御名部皇女で、妻の吉備内親王も草壁皇子の皇女であった。「続日本紀」によると天平元年(七二九)二月一〇日、聖武天皇の命によって藤原宇合らの兵が左大臣長屋王の宅を囲み、一二日、王は妻や王子らとともに自害した。「左道を学んで国家を傾ける者」との罪を糾問されたためで、長屋王の変といわれる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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