日本歴史地名大系 「長河庄」の解説
長河庄
なががわのしよう
「康平記」の康平五年(一〇六二)正月一三日条の、関白(藤原頼通)の「春日詣定」のうちに「(正月)五日夕、秣蒭、長河」とある点からみると、この時期すでに摂関家領であったことがうかがえる。この春日社参では秣役をつとめたものである。次に「春日詣部類記」仁平元年(一一五一)の「
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
「康平記」の康平五年(一〇六二)正月一三日条の、関白(藤原頼通)の「春日詣定」のうちに「(正月)五日夕、秣蒭、長河」とある点からみると、この時期すでに摂関家領であったことがうかがえる。この春日社参では秣役をつとめたものである。次に「春日詣部類記」仁平元年(一一五一)の「
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1 食肉目クマ科の哺乳類の総称。全般に大形で、がっしりした体格をし、足の裏をかかとまで地面につけて歩く。ヨーロッパ・アジア・北アメリカおよび南アメリカ北部に分布し、ホッキョクグマ・マレーグマなど7種が...