日本歴史地名大系 「長河庄」の解説
長河庄
なががわのしよう
「康平記」の康平五年(一〇六二)正月一三日条の、関白(藤原頼通)の「春日詣定」のうちに「(正月)五日夕、秣蒭、長河」とある点からみると、この時期すでに摂関家領であったことがうかがえる。この春日社参では秣役をつとめたものである。次に「春日詣部類記」仁平元年(一一五一)の「
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
「康平記」の康平五年(一〇六二)正月一三日条の、関白(藤原頼通)の「春日詣定」のうちに「(正月)五日夕、秣蒭、長河」とある点からみると、この時期すでに摂関家領であったことがうかがえる。この春日社参では秣役をつとめたものである。次に「春日詣部類記」仁平元年(一一五一)の「
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[名](スル)一定の主義・主張がなく、安易に他の説に賛成すること。「多数派に付和雷同する」[補説]「不和雷同」と書くのは誤り。[類語]矮人わいじんの観場かんじょう・同意・賛同・支持・賛成・雷同・便乗・...