日本歴史地名大系 「長沼新田」の解説 長沼新田ながぬましんでん 千葉県:千葉市稲毛区長沼新田[現在地名]稲毛区長沼町・長沼原町(ながぬまはらちよう)・柏台(かしわだい)、花見川(はなみがわ)区内山町(うちやまちよう)、若葉(わかば)区愛生町(あいおいちよう)宮野木(みやのぎ)村の北西方にある。寛文期(一六六一―七三)六方(ろつぽう)野のうち稲毛村ほか一三村の入会秣場(一千五〇七町余)の七五三町七反余が開発されて成立した町人請新田(安政五年「六方野一件願書」永野家文書)。幕府の許可では三七六町余を新畑として開き、延宝三年(一六七五)検地を受けて年貢諸役を負担し、残余の野は野銭永一八貫八四一文を納入して利用することとされたが(宇那谷町有文書)、江戸の薬種問屋野田源内が元禄期(一六八八―一七〇四)に開墾、名主は島田寿平治で、当時は幕府領であったという(千葉郡誌)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報