長淵庄(読み)ながふちのしよう

日本歴史地名大系 「長淵庄」の解説

長淵庄
ながふちのしよう

鎌倉期から戦国期にかけてみえる庄園。現長渕ながふち付近に比定される。観応二年(一三五一)一二月日付龍造寺家政申状案(龍造寺文書/南北朝遺文(九州編)三)によると、同氏の先祖藤原季家が元暦―建久年間(一一八四―九九)に源頼朝から与えられて以来、数代当知行していると主張している所領のなかに「長淵庄田地五町・同畠地・当住屋敷等地頭職」がみえる。承久三年(一二二一)六月一〇日の尊長所領譲状案(華頂要略/鎌倉遺文五)では、尊勝そんしよう(現京都市左京区)の執行尊長が道覚法親王に譲与した私領のなかに「尊勝寺領筑前国長淵庄」がみえる。正応元年(一二八八)一〇月三日の四通の蒙古合戦勲功賞配分状(入来院武光文書・入来院文書・禰寝文書・旧記雑録/鎌倉遺文二二)によれば、鎌倉幕府は弘安四年(一二八一)のモンゴル軍との合戦の恩賞として当庄を御家人たちに分配している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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