長瀬富郎(読み)ナガセ トミロウ

20世紀日本人名事典 「長瀬富郎」の解説

長瀬 富郎
ナガセ トミロウ

明治期の実業家 花王石鹼創業者。



生年
文久3年11月21日(1863年)

没年
明治44(1911)年10月26日

出生地
美濃国恵那郡福岡村(岐阜県福岡町)

別名
幼名=富二郎

経歴
米穀・酒造業者の二男に生れる。12歳で叔父の店に入る。明治18年上京、日本橋馬喰町の和洋小間物問屋伊能商店に入店大番頭となり富郎と改名。20年独立し日本橋に長瀬洋物店を開くが、23年石鹼製造職人の村田亀太郎と提携して「花王石鹼」の発売に乗り出す。その後、粉歯磨、練歯磨、石蠟などの製造・販売にも事業を拡張、また工場を拡げ、石鹼製造技術の改良を行い、油脂石鹼業界に君臨するに至った。44年合資会社長瀬商会を設立。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「長瀬富郎」の解説

長瀬富郎

没年:明治44.10.26(1911)
生年:文久3.11.21(1863.12.31)
明治時代の実業家。花王石鹸創業者。美濃国(岐阜県)恵那郡福岡村の百姓代で酒造業兼営の長瀬栄蔵と母ヤツの次男。幼名富二郎。明治18(1885)年上京し米相場に手を出すが失敗,洋小間物伊能商店番頭。20年独立して馬喰町に長瀬洋物店を開業,富郎と改名。23年有銘石鹸として「花王石鹸」を発売した。横浜の堤磯右衛門の流れを汲む村田亀太郎工場が鹸化から型打ちを担当,薬品調合と包装を長瀬本舗が行い,輸入品に対抗するため薬剤師瀬戸末吉が香科,色素を調合。当初は「香王石鹸」で登録したが,アジア市場を目指し,楊貴妃の姿の牡丹を暗示する「花王」とし,輸入鉛筆の月星印をヒントに三日月の「顔」をとり入れ,顔の長い人を「花王石鹸」と呼ばれるまでにした。35年直営工場設立,44年25万円の合資会社長瀬商会を設立。<参考文献>服部之総『初代長瀬富郎伝』,『花王石鹸五十年史』『花王史100年』

(小林正彬)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「長瀬富郎」の解説

長瀬富郎 ながせ-とみろう

1863-1911 明治時代の実業家。
文久3年11月21日生まれ。明治18年上京して小間物問屋の伊能商店にはいる。20年独立して長瀬富郎商店(現花王)をひらく。23年村田亀太郎らの協力をえて花王石鹸(せっけん)を製造・販売した。明治44年10月26日死去。49歳。美濃(みの)(岐阜県)出身。幼名は富二郎。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「長瀬富郎」の解説

長瀬 富郎 (ながせ とみろう)

生年月日:1863年11月21日
明治時代の実業家
1911年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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