長町七丁目(読み)ながまちななちようめ

日本歴史地名大系 「長町七丁目」の解説

長町七丁目
ながまちななちようめ

[現在地名]浪速区日本橋につぽんばし四―五丁目

長町六丁目の南に続く両側町。古くはなが尾張坂おわりさか町と称したが、元禄六年(一六九三)長町七丁目と改称(大坂町之内町名替り候写など)。明暦元年(一六五五)大坂三郷町絵図に「おはり坂町」とみえる。大坂三郷北組に属し、元禄一三年の三郷水帳寄帳によると屋敷数四四・役数四六役で、うち年寄分・会所分各一役が無役。年寄は橘屋兵左衛門。同一六年当時は茶屋・旅籠屋・煮売御免地で、六丁目・七丁目で旅籠七、煮売茶屋五があった(「伏見坂町一件」成舞家文書)。寛政三年(一七九一)には木賃宿一二と旅籠宿と木賃宿を兼ねた一軒があった。この一三軒で部屋数三四〇余、定泊客は米踏人・働人三一〇、浜立女九〇、袖乞三〇など。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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