日本歴史地名大系 「長科村」の解説
長科村
ながしなむら
長科川の流域一帯にあり、東は陸奥湾に臨み、南は
貞享元年(一六八四)の郷村帳の寛文四年(一六六四)以降の新田として村名があり、村高一二一三・六石、天保郷帳でも八一三・六石で、この地域最高の石高を示している。しかし貞享四年の検地帳が欠けており、確認はできないが、次の記録などによるとそれほどの生産をあげたとは考えられない。享和二年(一八〇二)の伊能忠敬の「測量日記」に「長科村 中沢村枝郷、家十二軒、右海へ一丁左畑二丁斗、夫より先も田地なりしが、村々共に卯年より荒地になると云」とあり、明治初年の「新撰陸奥国誌」によれば、家数四〇、「往還を挟て両側に住す。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報