長穂村(読み)ながほむら

日本歴史地名大系 「長穂村」の解説

長穂村
ながほむら

[現在地名]徳山市大字長穂

竜文字(りゆうもんじ)山の南麓を大きく迂回した錦(にしき)川が、再び北流する付近、主として南部の小盆地山際に集落が点在する。東側は須々万(すすま)村、南は莇地(あぞうじ)村、北西は大道理(おおどうり)村に接する。萩藩領で都濃宰判に属した。

村内にある竜文寺所蔵の永正一三年(一五一六)三月二一日付の陶興房寄進状(「寺社証文」所収)に「防州都濃郡富田保長穂内莇地参拾弐石地」とあり、富田(とんだ)保内の地とされていたことが知られる。また伊勢神宮の御師が守札を配布した折の覚書である中国九州御祓賦帳の享禄五年(一五三二)分に「とん田 長を(穂)の兼久六郎衛門殿」とみえる。

慶長五年(一六〇〇)の検地帳には石高五九〇石三升五合、同一五年には石高一千二〇八石余、うち田方は九三町余で一千六五石余、畠方は二六町余で八三石余、百姓屋敷一三一と記される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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