長蘆寺跡
ちようろじあと
上鳴尾町付近にあったと推定される中世の禅宗寺院であるが、跡地は不明。京都大徳寺の塔頭如意庵の末寺であった。江月山と号し、開山は言外宗忠とその師徹翁義亨(大永五年一二月一八日「長蘆寺校割帳案」大徳寺文書など)。創建年代は不明。康永三年(一三四四)三月二六日付の藤原光智田地寄進状(大徳寺文書、以下同文書)によれば、小松庄地頭藤原光智が同庄東方地頭方の所領一反一二〇歩を、長蘆庵住持用円に寄進している。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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