日本歴史地名大系 「長谷寄地蔵堂」の解説 長谷寄地蔵堂はせよりじぞうどう 高知県:安芸郡芸西村西分村長谷寄地蔵堂[現在地名]芸西村西分西分(にしぶん)の西端、香美郡夜須(やす)町に境を接する長谷(ながたに)地区の、街道を北に入った集落の中にある。本尊は木造の地蔵尊。天正一七年(一五八九)の和食庄地検帳に、「長谷寺村長谷寺領」で検地時に永正(えいしよう)寺持とされるうちの一七代二歩について、その注に「長谷寺ノ内本尊地蔵、願主ヲサ、弘法大師御作仏ト有之」とある。「南路志」には「長谷寺、退転、本尊地蔵堂而已残る」とし「地蔵堂、本田東長谷、立像木仏長一尺九寸弘法大師作、堂式弐代」とあり、当地蔵堂が地名ともなった長谷寺の本尊を祀るものであることが知られる。長谷寺については不明だが、「芸西村史」は現在香美郡夜須町羽尾(はお)にある長谷(ちようこく)寺に、八〇〇年前長谷とよばれる地にあったが大竜巻で羽尾に吹飛ばされたという伝えがあることを記している。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報