20世紀日本人名事典 「長谷川きた子」の解説
長谷川 きた子
ハセガワ キタコ
- 生年
- 明治5年(1872年)
- 没年
- 大正14(1925)年3月25日
- 出生地
- 千葉県安房郡和田村
- 学歴〔年〕
- 女子学院卒,オックスフォード大学
- 経歴
- キリスト教信者の家に生まれ、7歳の時にはすでに英語を話したと言われる。東京・麴町の女子学院を卒業後、明治28年にイギリスのオックスフォード大学に留学。34年に帰国したのちは、英語教師として母校女子学院や虎ノ門女学校・香蘭女学校などで英語や英文学を教えた。大正13年ワシントンで開かれた万国連合女子青年大会に出席、和服姿ながら流暢な英語を話し、聴衆の関心を集めた。大会後、カナダ・イギリス・フランスなどを歴訪し、14年3月に帰国するが、その直後に急死。生徒たちから“慈母”と呼ばれ、慕われた教師であった。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報