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長谷川宗右衛門 はせがわ そうえもん

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

長谷川宗右衛門 はせがわ-そうえもん

1804*-1870 江戸時代後期の武士。
享和3年12月14日生まれ。長谷川速水(はやみ)の父。讃岐(さぬき)高松藩士。徳川斉昭(なりあき)の政治姿勢に共鳴。安政5年(1858)脱藩して尊攘(そんじょう)運動に従事。一時獄につながれるが,文久2年ゆるされ,慶応4年戊辰(ぼしん)戦争で朝敵とされた高松藩の危機をすくった。明治3年9月25日死去。68歳。本姓は松崎。名は秀驥(ひでたか)。

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(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

長谷川宗右衛門

没年:明治3.9.25(1870.10.19)
生年:享和3.12.14(1804.1.26)
幕末の高松藩(香川県)藩士。父は松崎裕民。高松の松平家は水戸徳川家から分かれた家だが,前水戸藩主徳川斉昭の政治姿勢には批判的だった。そのような藩中にあって斉昭に賛同,安政4(1857)年屏居を命ぜられる。翌年脱藩して京から水戸へ赴くが,追われて自首,江戸伝馬町の獄に送られる。「玉となりて砕くるとも,瓦となりて全かるなかれ」と独語していたとは,同獄の吉田松陰の証言。翌6年高松の獄に移され,文久2(1862)年放免。明治3(1870)年病を重くし,生前に皇居を拝そうと渡海を試みるが,船中に没した。

(井上勲)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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