門尾村(読み)かどおむら

日本歴史地名大系 「門尾村」の解説

門尾村
かどおむら

[現在地名]郡家町門尾・下門尾しもかどお堀越ほりごし

稲荷いなり村の南西方、私都きさいち川の西岸に位置し、若桜わかさ往来が通る。枝郷に下門尾村があり、これに対し上門尾村ともいった。慶長九年(一六〇四)六月の池田長政領知目録写(岡山大学付属図書館蔵)に門尾村がみえ、同村の八五三石が鳥取城主池田長吉からその子長政に与えられている。八五三石は藩政期の高からみて多すぎ、村切が異なっていたのであろう。寛永一〇年(一六三三)一一月には門尾村内の二〇四石余など四二〇石が岡島五郎右衛門に与えられた(「知行方目録」県立博物館蔵)。拝領高は五二七石余。本免五ツ。元禄一四年(一七〇一)の変地其外相改目録(県立博物館蔵)に、下門尾村は正保(一六四四―四八)以前から門尾村の内村として成立していたが、正保国絵図には収載せず元禄国絵図には載せたとある。享保一九年(一七三四)の鈴木孫三郎所持本「因幡誌」には上門尾村・下門尾村が併記されているが、下門尾村の項に下札では一所で、高は上門尾村に含まれるとある。高六〇八石、上門尾村の竈数三〇、下門尾村の竈数一四。「因幡志」にも上・下の門尾村が記されるが、下札は一所とあり、上門尾村の家数四四、産土神は福本ふくもと村の白兎はくと大明神、下門尾村の家数一九、産土神は同じ。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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