日本歴史地名大系 「若桜往来」の解説 若桜往来わかさおうらい 鳥取県:総論若桜往来鳥取城下から八東(はつとう)郡の宿駅若桜町(現若桜町)を経て播磨国へ至る近世の街道。鳥取城惣堀の若桜口惣門から出て城下を南西へ進み若桜橋を越えて南進。雲山(くもやま)・紙子谷(かごだに)(現鳥取市)を経て鳥取平野南部の丘陵地帯にある法美(ほうみ)・八上(やかみ)両郡境の三本松(さんぼんまつ)峠を越えて郡家(こおげ)村(現郡家町)に至り、八東川に沿って南東へ進み安井(やすい)・徳丸(とくまる)・富枝(とみえだ)(現八東町)の各村を経て若桜町に至る。若桜からは南東の戸倉(とくら)峠を経て播磨国に入る道と、東進して氷(ひよう)ノ山越を経て但馬国に入る道に分れる。若桜街道ともいい(「因幡民談記」「因幡志」など)、八東往来とも称した(「在方諸事控」など)。戸倉峠までを総称して播磨道ともいい、若桜町から氷ノ山越までを但馬道ともいった(因幡志)。「家久君上京日記」天正三年(一五七五)六月一六日―一八日条によると、伊勢参宮などを終えた島津家久は但馬国から氷ノ山越を通って舂米(つくよね)(現若桜町)に宿泊、若桜、たち井(現八東町丹比)を経て船岡(ふなおか)(現船岡町)に宿泊したあとおそらく三本松峠かその付近を北へ山越えしたのち鳥取城下の南西で千代川を西へ渡った。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報