開発統一党(読み)かいはつとういつとう(その他表記)Partai Persatvan Pembanguran

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「開発統一党」の意味・わかりやすい解説

開発統一党
かいはつとういつとう
Partai Persatvan Pembanguran

略称 PPPインドネシア政党。 1973年1月5日,ナフダトル・ウラマ党,インドネシア・ムスリミン党,インドネシア・イスラム連盟党,イスラム教育連盟のイスラム4党を合同して結成された。 77年5月の総選挙では,ゴルカールに対する有力な野党としての期待を集め,首都ジャカルタなどで善戦したが,結局 29.3%の得票率を示したにとどまった。 84年にはナフダトル・ウラマ党が脱退したこともあり,87年の総選挙では急激に議席数を減らした。また,パンチャ・シラを唯一の原則にすることを迫られ,イスラム勢力としてのアイデンティティを喪失した。しかし,97年にはインドネシア民主党を追われたメガワティ派が支援に回ったこともあり,第2党の地位を維持した。

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