閑院跡(読み)かんいんあと

日本歴史地名大系 「閑院跡」の解説

閑院跡
かんいんあと

平安初期の左大臣藤原冬嗣の邸跡。「今昔物語集」巻二二に冬嗣の孫基経の事として「閑院モ此ノ大臣ノ御殿ニテ有ケレドモ、其ノ殿ヲバ御物忌ノ時ナドゾ渡タリ給ケル。疎キ人ヲバ寄セ不給ザリケリ、親シキ人々ノ限リヲゾ寄セ給ヒテ、閑ナル所ニ為サセ給ヒケレバ、基ヨリ閑院トハ云也ケリ」と記すが、既に冬嗣を閑院左大臣と称しているから、当初からの呼び名と思われる。

「拾芥抄」は、「二条南西洞院西一町、冬嗣大臣家、金岡畳水石、公季卿伝領云々」と記す。同書東京図は、東三条殿の西、堀河院の東に二町として「閑院冬嗣公家」と記載する。その地点は、二条大路の南、油小路の東、三条坊門の北、西洞院大路の西である。「拾芥抄」の一町と東京図の二町の違いは不明であるが、二町とすれば、現在の古城ふるしろ町・下古城しもふるしろ町の全域と西大黒にしだいこく町・二条油小路にじようあぶらのこうじ町・押油小路おしあぶらのこうじ町・二条西洞院にじようにしのとういん町・押西洞院おしにしのとういん町・石橋いしばし町の一部にまたがる。

閑院はその後里内裏としても利用されるが、「類聚国史」には弘仁五年(八一四)四月二八日に「幸左近衛大将正四位下藤原朝臣冬嗣閑院、供張之宜、甚有雅致、天皇染翰、群臣献詩、時人以為佳会、授冬嗣従三位、无位藤原美都子従五位下」とあって、嵯峨天皇を迎えている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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