日本歴史地名大系 「古城町」の解説 古城町ふるしろまち 石川県:松任市松任町古城町[現在地名]松任市古城町西新(にししん)町東端の北に位置。呼称は松任城跡の南に続く地であることにより生じた。天明五年(一七八五)の町絵図(松任市立博物館蔵)に「古シロ町」とみえ、屋並が描かれるが百姓家である。また北端には「作食蔵」と「中出御蔵」の二棟の建物が描かれている。作食蔵は承応元年(一六五二)、中出蔵は同二年に建てられた。作食蔵は開拓された城跡の南東隅に位置し、中出蔵はその東隣にあった。前者の年貢は請地として松任町と村井(むらい)村とで米一石五斗余を納め、後者は米一石二斗余を開拓畑高から引高と定められていた。 古城町ふるしろちよう 京都市:中京区城巽学区古城町中京区小川通二条下ル南北に通る小川(おがわ)通を挟む両側町。町の南部を押小路(おしこうじ)通(旧押小路)が通る。平安京の条坊では、左京三条二坊四保一六町の地。平安時代、藤原冬嗣の閑院の域内にあたる(拾芥抄)。明徳四年(一三九三)この地に妙顕(みようけん)寺が移転し、天正年中(一五七三―九二)、寺之内通北・新町西の地に再転、跡地は羽柴秀吉の邸となった(→二条西洞院町)。町名は、寛永一四年(一六三七)洛中絵図に「古しろ町」、元禄末期洛中絵図に「上古城町」とある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by