日本歴史地名大系 「間宮村」の解説 間宮村まみやむら 静岡県:田方郡函南町間宮村[現在地名]函南町間宮現町域南西部に位置する。伊豆半島北部の田方平野、狩野(かの)川支流来光(らいこう)川北岸にある村。下田街道が通り、北は大場(だいば)村(現三島市)、西は安久(やすひさ)村(現同上)。中世間宮(まみや)庄・間宮郷の遺称地。元禄郷帳によると高八六八石余。近世初頭は韮山(にらやま)城(現韮山町)の城主内藤氏の支配を受け、慶長六年(一六〇一)幕府領、寛永二年(一六二五)幕府領と旗本井出領となり、同氏領は幕末まで続く。幕府領は元禄一一年(一六九八)旗本能勢(二給)・久野・高田・武島・三宅の六家領となり、井出領と合せて七給となった(韮山町史)。 間宮村まみやむら 埼玉県:浦和市間宮村[現在地名]浦和市間宮大崎(おおさき)村の東に位置する。東から北は大門(だいもん)町、南は差間(さしま)村(現川口市)。見沼代用水(東縁)が洪積台地と沖積低地の境を流れる。承久三年(一二二一)六月一四日、承久の乱の際、山城宇治合戦で幕府軍として参加し、討死した武士のなかに麻禰屋四郎・同次郎がいる(「吾妻鏡」同月一八日条)。この麻禰屋氏の根拠地が当地に比定されている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報