20世紀日本人名事典 「関口八重吉」の解説 関口 八重吉セキグチ ヤエキチ 明治〜昭和期の機械工学者 生年明治8年8月29日(1875年) 没年昭和24(1949)年12月24日 出生地東京 学歴〔年〕東京高等工業学校機械科〔明治29年〕卒 学位〔年〕工学博士〔大正11年〕 経歴明治31年東京高工助教授。35年英米に留学、コーネル大学に学んで38年帰国、教授となった。大正11年海外出張。昭和4年東京工業大学昇格で同大教授、機械工学科主任。14年退任後、満州国顧問。この間明治30年代に旋盤の試作を指導、工作機械の国産化などに貢献。著書に「機械工業要綱」「新らしい家庭工業」「科学と発明」「工作機械」など。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「関口八重吉」の解説 関口八重吉 せきぐち-やえきち 1875-1949 明治-昭和時代の機械工学者。明治8年8月29日生まれ。英米に留学後,母校東京工業の後身東京高工,東京工業大の教授となり,工作機械の国産化とボイラーの改善につくす。日本機械学会会長などを歴任。昭和24年12月24日死去。75歳。東京出身。著作に「機械工業要綱」など。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by