関定(読み)セキ サダム

20世紀日本人名事典 「関定」の解説

関 定
セキ サダム

明治〜昭和期の実業家,社会事業



生年
明治12(1879)年7月21日

没年
昭和49(1974)年9月4日

出生地
愛媛県上浮穴郡菅生村(現・久万町)

旧姓(旧名)
尾首

学歴〔年〕
久万高等小学校卒

経歴
大阪で店員として働く傍ら夜学私塾で学ぶ。明治41年に帰郷して紙の販売を始め、次いで大正1年松山市に関和洋紙印刷部を開業。以後、積極的に最新技術を取り入れて順調に業績を伸ばし、のちにはバス運送業にも進出した。また、松山商工会議所会員としても活躍し、愛媛県の実業界に重きをなした。74歳を過ぎてからは社会事業にも尽力し、済生会病院・特別養護老人ホームの建設や私学振興ボーイスカウト創設などを推進。更に、それらの事業を助けるために関奉仕財団を設立した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「関定」の解説

関定 せき-さだむ

1879-1972 明治-昭和時代の実業家。
明治12年7月21日生まれ。愛媛県松山市で明治41年紙の販売をはじめ,のち印刷業,バス運送業なども手がける。晩年は済生会病院,老人ホームの経営,私学の振興など社会事業につくし,関奉仕財団を設立した。昭和47年9月4日死去。93歳。愛媛県出身。旧姓は尾首。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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