日本歴史地名大系 「関屋土塁」の解説 関屋土塁せきやどるい 佐賀県:三養基郡基山町宮浦村関屋土塁[現在地名]基山町大字宮浦通称木山口(きやまぐち)の背後千塔山(せんどやま)丘陵から東の城上(じようのえ)丘陵に向かって築土居がある。古代の筑前国水城(みずき)の大堤(現福岡県大野城市)と同一の様式構造をもつ。土塁は北に急傾斜し、南に低い段をもち、基底より高さ四・八メートル(最高所)、長さ約二〇メートル、段の幅一五メートル程度。堤防は北向きで往時は中央を川と道路が横切り、水門および城門の設けもあったと思われる。土塁線の北向きから考えて、直接には基肄(き)郡広くは肥前国の守りを目的としたものとされる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by