基肄駅(読み)きのえき

日本歴史地名大系 「基肄駅」の解説

基肄駅
きのえき

[現在地名]基山町大字小倉

肥前風土記」に「基肄郡(中略)駅壱所小路」とある駅は基肄駅である。駅名は「和名抄」「延喜式」にみえる。

大宰府から南下して肥前筑後国府に至る古代駅路は、「山道」を通って基肄駅に至り、ここで分岐して西路は切山きりやま駅・神埼駅(現神埼郡神埼町)を経て肥前国府(現佐賀郡大和町大字久池井に比定)に至り、中央路は御井みい(現福岡県久留米市)に至る。

駅の規模は「駅馬 基肆十疋、(中略)伝馬 基肆駅五疋」と「延喜式」にあり、小路ながら中路に準じた駅馬と伝馬をも配している。これは官道の分岐点に位置するからであろう。

基肄駅跡は現国鉄鹿児島本線基山駅北方一〇〇メートルの阿弥陀堂跡と推定されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の基肄駅の言及

【基山[町]】より

…古くからの軍事・交通の要衝で,北部にある基山の山頂には,7世紀に大宰府の南の防備として築かれた朝鮮式山城の基肄(きい)城があり,特別史跡に指定されている。古代には基肄駅,基肄軍団が置かれ,江戸時代は対馬藩領で薬の製造と行商が盛んであった。米作を中心とし果樹栽培,肥育牛などを行う農業が主産業であったが,近年,南部の工業団地を中心に工業が盛んになり,製造品出荷額も県内有数の地位を占めるようになった。…

※「基肄駅」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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