関茶屋新田(読み)せきちややしんでん

日本歴史地名大系 「関茶屋新田」の解説

関茶屋新田
せきちややしんでん

[現在地名]堺市関茶屋

野尻のじり村の南、西にし村の西方に位置し、新田の西側を西高野街道が通る。河内国丹南郡に属する。中世の日置ひき庄域内大野芝おおのしばの一角を占める。南北朝期、楠木氏が土豪日置武光に西高野街道に関を設けさせ、要害として守らせた。後年この大野関跡に茶屋が設けられ関茶屋と称されたが、新田開発後新田名として残った。元禄中期、太田新蔵・浅田喜兵衛が幕府に願出て大野芝山一帯の開発を許可されたが、請負った地代金の調達ができず、元禄一一年(一六九八)幕府代官の斡旋により関茶屋新田は吉村五郎右衛門正近に譲り渡された(享保一八年「草尾新田由来并年々聞書」児山家文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

二十四節気の一つで,二至 (夏至,冬至) ,二分 (春分,秋分) として四季の中央におかれた中気。元来,春分は太陰太陽暦の2月中 (2月後半) のことで,太陽の黄経が0°に達した日 (太陽暦の3月 2...

春分の用語解説を読む