日本大百科全書(ニッポニカ) 「阿久津村小作争議」の意味・わかりやすい解説
阿久津村小作争議
あくつむらこさくそうぎ
1931年(昭和6)12月から翌1932年3月にかけて、栃木県塩谷(しおや)郡阿久津村で起こった小作料減免をめぐる争議。1931年結成の全国農民組合(全農)阿久津支部は、同年の凶作に際して小作料4割減額を要求した。しかし、地主の大部分はこれを拒否、地主野沢茂堯は大日本生産党に応援を求めた。大日本生産党は農民組合幹部を日本刀や槍(やり)で襲撃、監禁し、小作人には組合脱退を強要するなどの暴行を働き、1932年1月には組合事務所を占拠した。そのため、全国労農大衆党の指導のもとに全国農民組合栃木県連は事務所の奪回を目ざして200余人を動員、両者の衝突により、生産党側に5人の死者が出るに至った。結局この事件では、109人の農民組合員が殺人罪などで起訴され、35人が実刑判決を受け、小作争議史上有数の刑事事件となった。事件後、県知事や塩谷郡選出の県会議員が斡旋(あっせん)に乗り出し、小作争議は3月に解決した。
[横関 至]
『青木恵一郎著『日本農民運動史 第4巻』(1959・日本評論社)』▽『農地制度資料集成編纂委員会編『農地制度資料集成 第2巻』(1969・御茶の水書房)』