阿多氏(読み)あたうじ

改訂新版 世界大百科事典 「阿多氏」の意味・わかりやすい解説

阿多氏 (あたうじ)

平安末期から鎌倉前期にかけて薩摩国阿多郡を本拠に南薩地方一帯に勢威を張った武家。薩摩平氏の一流。1138年(保延4)阿多郡司平忠景は相伝私領の当郡内牟田上浦壱曲荒地を郡内観音寺に寄進しているが,同人は久吉名主として財力を誇り,50年(久安6)ころには薩摩権守を称し,薩摩平氏の棟梁としてその武威は大隅にも及んだ。54年(久寿1)鎮西に威をふるった源為朝を女婿としたともいわれる。56年(保元1)ころ,弟忠永とともに荘公の収納物を押領したとして,59年(平治1)勅勘をこうむり貴海(硫黄)島に逃亡したという。平家の追討使平家貞は数度渡海を企てたが成功せず,空しく帰洛。忠景没落後,女婿阿多平四郎信(宣)澄がその遺領を相続したが,92年(建久3)鎌倉幕府から平家謀反のときの張本の一人であるとして改易された。これとは別に室町期以後,島津氏一族町田氏の一流に阿多氏がある。1411年(応永18)町田家久(忠清)が阿多郡を料所として与えられたのに始まる。近世日向志布志郷士阿多家に伝えられた《阿多文書》は当時の南蛮船関係の史料を含んでいる。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の阿多氏の言及

【鮫島氏】より

…鎌倉初期,四郎宗家が源頼朝より薩摩国阿多郡の地頭職を与えられて下向したのが薩摩鮫島氏の始まり。一説では薩摩の阿多氏と同族というが不明。宗家の阿多地頭職が,平家に味方して没官された阿多氏の所領跡に置かれたものであることから,後世両氏を同族とみる説が生まれたとも考えられる。…

※「阿多氏」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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