日本大百科全書(ニッポニカ) 「阿山」の意味・わかりやすい解説
阿山
あやま
三重県中西部、阿山郡にあった旧町名(阿山町(ちょう))。現在は伊賀(いが)市の北部を占める一地域。1954年(昭和29)10月河合(かわい)、玉滝(たまたき)2村が合併して阿拝(あへ)村を設置、同年12月鞆田(ともだ)村を合併、阿山村と改称。1955年丸柱(まるばしら)村を合併した。1967年町制施行。2004年(平成16)上野市、伊賀町、青山町、島ヶ原村、大山田村と合併、伊賀市となる。名称の「阿山」の由来は、1896年(明治29)阿拝郡と山田郡が合して阿山郡となり、その中心村を阿山村としたのを引き継いだもの。旧町域は上野盆地の北端に位置し、全域が滋賀県との境に続く標高200~300メートルの丘陵性山地で、集落は鞆田川と河合川に沿って散在する。国道422号が通じ、南端をJR関西本線と国道25号が並行して走る。開発の歴史は古く、玉滝には、奈良時代東大寺の北杣(そま)として始まり、開墾が進んで同寺の荘園(しょうえん)となった記録が残る。丸柱は滋賀県信楽(しがらき)に接する粘土の産地で伊賀焼の本場。土鍋(どなべ)、植木鉢などのほか美術陶芸も盛ん。稲作のほか、伊賀牛、伊賀豚などの畜産も行われる。近くに名阪国道が開通した後、工業化も進んでいる。
[伊藤達雄]