阿蘇惟光墓(読み)あそこれみつのはか

日本歴史地名大系 「阿蘇惟光墓」の解説

阿蘇惟光墓
あそこれみつのはか

阿弥陀寺境内の玉垣をめぐらした中に小さな宝篋印塔が二基あり、惟光とその生母の墓と伝える。現在は破損しているが、明治一四年(一八八一)の「熊本区誌」によれば、石碑五輪塔銘には「惟光文禄二天癸巳八月十八日」、もう一方は「浄月妙清大」の部分のみ残っていたという。現在、墓背に「阿蘇三社大宮司従四位阿蘇惟光之墓」と刻んだ標石が建つ。文禄の役に際し、薩摩梅北国兼の乱が起こり、これを豊臣秀吉は阿蘇大宮司家など肥後旧勢力の策動によるものと誤信し、隈本くまもと城代下川又左衛門に命じ、文禄二年(一五九三)八月一八日、一二歳の惟光を祇園山(現花岡山)で殺害させた(拾集昔語)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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