朝日日本歴史人物事典 「梅北国兼」の解説
梅北国兼
生年:生年不詳
戦国・安土桃山時代の武将。宮内左衛門尉。大隅(鹿児島県)の土豪で島津氏の有力家臣。湯之尾,山田などの地頭を歴任。島津氏の北征では水軍を担当し,天正13(1585)年の大友攻撃の際にも「御舟攻」を進言した。文禄1(1592)年6月,豊臣秀吉の朝鮮出兵に際し「船待ち」と称して肥後佐敷(熊本県葦北郡)に留まり,薩摩藩士,町人あわせて2000人余という大規模な一揆を起こした。佐敷城を占拠し八代をも窺ったが,蜂起後3日目に佐敷留守居衆により殺された。これは梅北一揆と呼ばれ,秀吉の朝鮮侵略に抵抗した国内唯一の運動であるとともに,大規模なものとしては中世最後の国人一揆と位置づけられる。妻子以下一族は名護屋で磔刑,主な参加者も極刑に処せられた。
(今谷明)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報