デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「梅北国兼」の解説 梅北国兼 うめきた-くにかね ?-1592 戦国-織豊時代の武将。薩摩(さつま)(鹿児島県)島津氏の家臣。大隅(おおすみ)山田郷,湯之尾郷などの地頭をつとめる。天正(てんしょう)20年朝鮮出兵の際,薩摩軍の一部や肥後(熊本県)佐敷の町人・農民とともに佐敷城をうばうが(梅北一揆(いっき)),6月17日同城留守居衆の加藤清正の家臣に討たれた。通称は宮内左衛門尉。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
世界大百科事典(旧版)内の梅北国兼の言及 【梅北一揆】より …1592年(文禄1)6月15日島津氏の家臣で,大隅湯之尾地頭の梅北国兼が朝鮮出兵の途中意を翻して加藤清正領の肥後国葦北郡佐敷城を奪取した事件。梅北は近郷の地侍に決起を呼びかけるとともに翌16日,田尻荒兵衛,東郷甚右衛門らを小西行長領の同国八代郡八代城攻撃に派遣するなど,肥後南部の一揆状況化を図った。… ※「梅北国兼」について言及している用語解説の一部を掲載しています。 出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」 Sponserd by