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梅北国兼 うめきた くにかね

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

梅北国兼 うめきた-くにかね

?-1592 戦国-織豊時代の武将。
薩摩(さつま)(鹿児島県)島津氏の家臣。大隅(おおすみ)山田郷,湯之尾郷などの地頭をつとめる。天正(てんしょう)20年朝鮮出兵の際,薩摩軍の一部や肥後(熊本県)佐敷の町人・農民とともに佐敷城をうばうが(梅北一揆(いっき)),6月17日同城留守居衆の加藤清正の家臣に討たれた。通称は宮内左衛門尉。

出典|講談社
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朝日日本歴史人物事典の解説

梅北国兼

没年:文禄1.6.17(1592.7.25)
生年:生年不詳
戦国・安土桃山時代の武将。宮内左衛門尉。大隅(鹿児島県)の土豪で島津氏の有力家臣。湯之尾,山田などの地頭を歴任。島津氏の北征では水軍を担当し,天正13(1585)年の大友攻撃の際にも「御舟攻」を進言した。文禄1(1592)年6月,豊臣秀吉の朝鮮出兵に際し「船待ち」と称して肥後佐敷(熊本県葦北郡)に留まり,薩摩藩士,町人あわせて2000人余という大規模な一揆を起こした。佐敷城を占拠し八代をも窺ったが,蜂起後3日目に佐敷留守居衆により殺された。これは梅北一揆と呼ばれ,秀吉の朝鮮侵略に抵抗した国内唯一の運動であるとともに,大規模なものとしては中世最後の国人一揆と位置づけられる。妻子以下一族は名護屋で磔刑,主な参加者も極刑に処せられた。

(今谷明)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
朝日日本歴史人物事典について | 情報

世界大百科事典内の梅北国兼の言及

【梅北一揆】より

…1592年(文禄1)6月15日島津氏の家臣で,大隅湯之尾地頭の梅北国兼が朝鮮出兵の途中意を翻して加藤清正領の肥後国葦北郡佐敷城を奪取した事件。梅北は近郷の地侍に決起を呼びかけるとともに翌16日,田尻荒兵衛,東郷甚右衛門らを小西行長領の同国八代郡八代城攻撃に派遣するなど,肥後南部の一揆状況化を図った。…

※「梅北国兼」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
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