朝日日本歴史人物事典 「阿蘇惟豊」の解説
阿蘇惟豊
生年:明応2?(1493)
戦国時代の阿蘇大宮司。惟憲の子。兄惟長が菊池氏の家督を継いだため,永正4(1507)年大宮司となる。同10年惟長に大宮司の職を追われるが,日向国鞍岡の甲斐氏の援助を得て同14年に復帰。以後益城郡矢部の浜の館にいて,岩尾城を拠点に阿蘇・益城2郡を領有した。天文13(1544)年,禁裏修理料献上の功により,後奈良天皇の勅使烏丸中納言光康を迎えて従三位に叙され,同18年には従二位に昇進。守護大友氏など外部勢力の圧力が強まるなか,中央の伝統的な権威を借りることで対抗しようとしたのだろうか。
(柳田快明)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報