阿連村(読み)あれむら

日本歴史地名大系 「阿連村」の解説

阿連村
あれむら

[現在地名]厳原町阿連

小茂田こもだ村の北にあり、集落西海にしめに面する。古代より阿礼村などとみえる。文禄三年(一五九四)「あれの浜百姓」が奉公を命じられたが(同年二月二一日「宗義智判物」佐須郡判物帳)朝鮮出兵に伴うものと考えられる。寛永一三年(一六三六)先例のごとく相勤めるよう指示されるが(「宗義成判物」同判物帳)、これも海上輸送など浜百姓ならではの奉公と考えられる。年未詳ながら「さすの浦人」らが逃散した際「あれ」百姓はこれに同心することなく、相留めようとしたとして「対馬西東三宮之棹さしはつし」の支配を認められた(「某連署書状」同判物帳)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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