日本歴史地名大系 「阿部野村」の解説 阿部野村あべのむら 大阪府:大阪市阿倍野区阿部野村[現在地名]阿倍野区王子(おうじ)町二―三丁目・松虫通(まつむしどおり)一―二丁目・阿倍野元(あべのもと)町・晴明通(せいめいどおり)・相生通(あいおいどおり)一丁目など東成(ひがしなり)郡南端、上町(うえまち)台地上の村で、北・東・西は天王寺(てんのうじ)村に囲まれ、南は住吉郡住吉村(現住吉区)と接する。中央部を南北方向に阿部野街道(熊野街道)が通じ、集落は街道沿いに位置する。宝暦二年(一七五二)の天王寺管内地図によれば、耕地は天王寺村に入込んでおり、両村境は明示しがたい旨を記す。古代に「和名抄」百済(くだら)郡西部(せいぶ)郷であったともいわれるが(摂津志)、明らかではない。明和七年(一七七〇)の若者中永代灯明講(「天王寺村誌」所収)によれば、「そもそも此阿部野村は阿部島と申所」で、天正一四年(一五八六)に片桐且元が巡見した際、阿部島を阿部野之庄と改称、村高を三〇〇石としたという。また大坂の陣後、離散民が帰村し始め、元和四年(一六一八)に「天王寺内村」となり、「天王寺新家阿部野村」とも称したとある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by