阿倍野区(読み)アベノク

デジタル大辞泉 「阿倍野区」の意味・読み・例文・類語

あべの‐く【阿倍野区】

阿倍野

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

日本歴史地名大系 「阿倍野区」の解説

阿倍野区
あべのく

面積:六・〇六平方キロ

大坂城から住吉方面にかけて延びる上町うえまち台地上に位置し、北から南にかけて緩やかに傾斜。台地の地質洪積層からなるが、東と西の傾斜は西側が急で幾つかの急坂がある。北は天王寺区・生野いくの区、南は住吉区、西は西成にしなり区、東は東住吉区に接する。区名の阿倍野は上町台地南部一帯の名称で、阿部野・安倍野・安部野など種々の文字が用いられたが、昭和一八年(一九四三)阿倍野区として区が成立して以来、阿倍野の文字がほぼ定着している。

〔原始・古代〕

原始においては大阪湾は大阪平野に大きく入込んでおり、上町台地が半島状に突出していて、台地の東・西両斜面下が海岸線であった。当区内における分布は明確ではないが、上町台地一帯には縄文・弥生遺跡が存在しており、おそらく当地も比較的早い時期から開けていたものと思われる。古墳期にさかのぼるとみられる古塚もある。推古朝には難波から大津おおつ道・丹比たじひ道に連絡して大和飛鳥に至る大道(難波大道)が縦貫し、当地は交通・軍事上の一要衝となった。長岡平安遷都とともに従来の交通路は変化したが、代わって平安中期以降四天王寺(現天王寺区)・住吉社(現住吉区)、さらに紀州高野熊野への参詣が活発化した。なかでも熊野三山への参詣は後鳥羽上皇など貴顕のみならず庶民に至るまで盛んに行われ、その街道筋にあたる当地には、いわゆる熊野九十九王子の第二王子である阿倍野王子(現阿倍王子神社)が設けられた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「阿倍野区」の意味・わかりやすい解説

阿倍野〔区〕
あべの

大阪市南部,上町台地南部を占める区。 1943年住吉区から分離して新設。中世熊野街道が通り,沿道付近には松虫塚,金塚,播磨塚,聖天 (しょうてん) 山などの古墳や北畠親房北畠顕家をまつる阿部野神社などがある。明治初期までは野菜中心の農業地であったが,1910年に南海電気鉄道上町線が開通してから宅地開発が始り,特に北畠から住吉区にまたがる帝塚山一帯は高級住宅地となった。天王寺区南端にある JR天王寺駅と隣接する区域北端にあるあべの橋には JR関西本線,阪和線,大阪環状線,南海電気鉄道天王寺線,近畿日本鉄道南大阪線,地下鉄谷町線,御堂筋線などが集り,大阪市の南の玄関口をなす。阿倍野橋駅前や阿倍野筋にはデパート,銀行,商店などが並び,ターミナル商店街としてにぎわう。阿倍野筋から帝塚山方面に南北に阪堺電気軌道上町線が通る。区の北西端に大阪市立大学の医学部と付属病院がある。面積 5.98km2。人口 11万995(2020)。

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