隈庄城跡
くまのしようじようあと
[現在地名]城南町隈庄
隈牟田城ともいい、城跡は通称舞ノ原台地の最西端に突出している。道路の貫通で台地と切離されているが、緑川と浜戸川に挟まれた広大な平野を一望できる地にあり、古城という字名もある。築城時期は定かでないが、元中四年(一三八七)の七月四日付征西将軍良成親王令旨(相良家文書)に「隈牟田城落居」とある。城主は「国誌」に菊池一族甲斐重村とするが確証はない。南北朝期には大友氏が隈牟田庄地頭職を得ており(阿蘇家文書・志賀文書・大友家文書録)、当城とのかかわりも想定される。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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