雉岡城跡(読み)きじがおかじようあと

日本歴史地名大系 「雉岡城跡」の解説

雉岡城跡
きじがおかじようあと

[現在地名]児玉八幡山

JR八高線児玉駅の西方に位置する県指定史跡の平城跡。戦国期小田原北条氏の支配下に入ってからは八幡山はちまんやま城という。中世後期から近世初頭にかけて、鎌倉街道上道に近接した要衝としての役割を果した。「風土記稿」は山内上杉氏が居城として築いたとするが、寛正(一四六〇―六六)の初め頃に関東管領上杉顕定の家臣夏目定基が築いたとされる。なお正安三年(一三〇一)八月上旬に明空によって集成された「宴曲抄(善光寺修行)に「是やは児玉玉鉾の、道行人に事とはん、者の武の弓影にさはぐ雉が岡」と詠まれており、この善光寺修行はほぼ鎌倉街道上道に沿って各地を詠込んだものであることから、雉岡の地に児玉党武士の姿があったことをうかがわせる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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