難台山城跡(読み)なんだいさんじようあと

日本歴史地名大系 「難台山城跡」の解説

難台山城跡
なんだいさんじようあと

[現在地名]岩間町上郷

屏風ヶ岩・舟玉石などの奇岩で知られる難台山(五五三メートル、男体山・羽梨山ともいう)中の観音平(かんのんだいら)にあり、男体(なんたい)城・男体山城ともいう。周囲が山勢急な険峻なる斜面にあり、東西一八〇メートル・南北七〇メートル。わずかに空堀・土塁の名残がある。県指定史跡。

南北朝の争乱期の元中四年(一三八七)南朝方の小田五郎藤綱・小山若犬丸らは五〇〇の精兵をもって難台山に兵を挙げ、北朝方は上杉朝宗軍がこれを攻める。戦は長引き、上杉軍は難台山の東にある館岸(たてぎし)山に城を設けて持久の策をとった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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