西城郡(読み)にしいばらきぐん

日本歴史地名大系 「西城郡」の解説

西城郡
にしいばらきぐん

面積:二五九・二四平方キロ
七会ななかい村・友部ともべ町・岩間いわま町・岩瀬いわせ

県西部にあり、東は東茨城郡に接し、北と西は八溝やみぞ山系の鶏足けいそく山・仏頂ぶつちよう山・たか峰などを境に栃木県、南は筑波山系の加波かば山・吾国わがくに山・難台なんだい山の山々を境に真壁まかべ郡・新治にいはり郡に接する。北部の国見くにみ山に源を発する涸沼ひぬま川は七会村笠間市友部町岩間町境を通って涸沼へ注ぎ、また県境に近い鍬柄くわがら峠に源を発する桜川は岩瀬町の中央を西流し、真壁郡・筑波郡・新治郡・土浦市を経て霞ヶ浦に注いでいる。

現郡域は古代には新治・茨城・那珂・真壁の四郡に分れていた。新治郡には七会村の半分と岩瀬町の大部分が属し、のちさらに東郡(笠間郡とも称し、笠間市の大部分・七会村の半分)と中郡(岩瀬町の大部分。のちに西那珂郡と称し、真壁郡の一部を編入)に分れる。また茨城郡には友部町の大半と岩間町、那珂郡には友部町の一部と七会村の半分、真壁郡には岩瀬町の一部が属していた。文禄年間(一五九二―九六)太閤検地の時新治郡の東郡と那珂郡の一部が茨城郡に編入され、さらに元禄一五年(一七〇二)の国絵図作製のおり西那珂郡が茨城郡に併合された(新編常陸国誌)。明治一一年(一八七八)茨城郡を東西に分け、西茨城郡が成立した。

〔原始〕

郡北端の七会村塩子しおごには先土器時代の遺跡があり、縄文遺跡は鶏足山南山麓、西部の岩瀬盆地の中央部台地、ぐし峰西山麓、友部町と岩間町の涸沼川両岸の台地、難台山東山麓などにみられる。弥生遺跡は岩瀬盆地の中央部、郡の北東の山地、難台山東山麓、岩間町の涸沼川流域にみられ、岩瀬町には弥生成立期のどういり遺跡がある。古墳は岩瀬盆地の山麓・台地、友部町と岩間町の涸沼川流域の台地、愛宕あたご山麓などに分布し、ほとんどが円墳の古墳群を形成しているが、最も規模の大きい古墳は岩瀬町岩瀬にある長辺寺山ちようへんじやま古墳で全長一二〇メートルの前方後円墳である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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