日本歴史地名大系 「西城郡」の解説
西城郡
にしいばらきぐん
県西部にあり、東は東茨城郡に接し、北と西は
現郡域は古代には新治・茨城・那珂・真壁の四郡に分れていた。新治郡には七会村の半分と岩瀬町の大部分が属し、のちさらに東郡(笠間郡とも称し、笠間市の大部分・七会村の半分)と中郡(岩瀬町の大部分。のちに西那珂郡と称し、真壁郡の一部を編入)に分れる。また茨城郡には友部町の大半と岩間町、那珂郡には友部町の一部と七会村の半分、真壁郡には岩瀬町の一部が属していた。文禄年間(一五九二―九六)の太閤検地の時新治郡の東郡と那珂郡の一部が茨城郡に編入され、さらに元禄一五年(一七〇二)の国絵図作製のおり西那珂郡が茨城郡に併合された(新編常陸国誌)。明治一一年(一八七八)茨城郡を東西に分け、西茨城郡が成立した。
〔原始〕
郡北端の七会村
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報