雨宮綾夫(読み)アメミヤ アヤオ

20世紀日本人名事典 「雨宮綾夫」の解説

雨宮 綾夫
アメミヤ アヤオ

昭和期の物理学者 東京大学名誉教授



生年
明治40(1907)年8月

没年
昭和52(1977)年6月9日

出生地
東京

学歴〔年〕
東京帝国大学理学部物理学科〔昭和6年〕卒

学位〔年〕
理学博士〔昭和25年〕

主な受賞名〔年〕
紫綬褒章〔昭和49年〕

経歴
日本大学工学部専門部講師、東大工学部講師を経て昭和17年東大第一工学部助教授。25年理学博士となり、36年教授、43年退官して名誉教授。のち電気通信大学教授、日立ソフトエンジニアリング技術顧問。この間、日本学術会議力学研究連絡委員会委員、原子力専門委員会委員、日本原子力産業会議放射線化学研究会長などを務めた。音響分析、分子積分表など分子構造に関する研究から電子計算機の開発にも尽力。放射線高分子協会、同研究所の設立にも寄与した。49年紫綬褒章受章。著書に「数値計算法」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「雨宮綾夫」の解説

雨宮綾夫 あめみや-あやお

1907-1977 昭和時代の物理学者。
明治40年8月25日生まれ。昭和36年母校東大の教授。退官後電気通信大教授。原子力専門委員会委員などをつとめ,コンピューターの開発や放射線高分子研究所の設立につくした。昭和52年6月9日死去。69歳。東京出身。編著に「放射線化学入門」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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