雨森村(読み)あめのもりむら

日本歴史地名大系 「雨森村」の解説

雨森村
あめのもりむら

[現在地名]高月町雨森あめもり

保延寺ほうえんじ村の南、南流する高時たかとき川両岸平地に立地。北国脇往還が通る。中世には富永庄に含まれ、庄内雨森郷には郷目安(掟)があり、これにしたがって郷中の罪科人等を処罰している(年未詳一〇月一一日「法橋兼全奉書案」井口日吉神社文書)。天文二四年(一五五五)四月二六日浅井久政は当村と小山こやま(現木之本町)との草山争論を裁定している(伊香文書)。年未詳九月二〇日の田中吉政宛行状(田中文書)によれば、天正一二年(一五八四)小牧長久手の戦の戦功を賞し口分田久七郎に「雨森村三百石之地」を与えている。慶長七年(一六〇二)検地では田六〇町四反余・高九六七石余、畑六町七反余・高六七石余、屋敷一町余・高一五石余(伊香郡志)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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