雲弘流(読み)うんこうりゅう

精選版 日本国語大辞典 「雲弘流」の意味・読み・例文・類語

うんこう‐りゅう ‥リウ【雲弘流】

〘名〙 剣術・短剣入身術・棒術の一流派。伊達家の家臣井鳥巨雲為信が、樋口不堪に弘(こう)流を学び、さらに小田切一雲の無住心剣を参照して創始

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「雲弘流」の意味・わかりやすい解説

雲弘流
うんこうりゅう

江戸中期におこった剣術の流派で、一名天真(てんしん)流という。流祖井鳥助之丞巨雲(いとりすけのじょうきょうん)(1650―1721)は、仙台藩士氏家(うじいえ)五郎右衛門の庶子で、幼名八十郎、初め同藩の樋口(ひぐち)七郎右衛門に弘流(こうりゅう)を学び、のちに江戸へ出て針ヶ谷夕雲(はりがやせきうん)の高弟小出切一雲(おでぎりいちうん)(1630―1706)に師事し、1683年(天和3)34歳のとき無住心剣(むじゅうしんけん)(破想(はそう)流)の印可を得、両流をあわせて一流を創(はじ)め、雲弘流と称した。彼は一雲の思想に深く傾倒し、一雲の著した『天真独露(てんしんどくろ)』をもって雲弘流の皆伝の書とした。

 巨雲門下には江戸の比留川彦九郎保教(ひるかわひこくろうやすのり)(雲海)、日向高鍋(ひゅうがたかなべ)藩に仕えた鈴木弥次郎定長(やじろうさだなが)らが傑出し、また嫡子の五郎右衛門為長(景雲、1701―82)は熊本藩に仕え、1755年(宝暦5)藩校時習館創建のとき藩主細川重賢(しげかた)の特命により剣術師範となった。景雲に実子なく、高弟の建部貞右衛門(流雲)がこれを継ぎ、以後代々師範役を勤めて明治に及んだ。

[渡邉一郎]

『熊本県体育協会編『肥後武道史』(1940/復刊・1974・青潮社)』『富永堅吾著『剣道五百年史』(1972・百泉書房)』

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