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雲谷等益 うんこく とうえき

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美術人名辞典の解説

雲谷等益

江戸前期の雲谷派の画家。広島生。雲谷等顔の次男。名は元直、雪舟4代の孫と自称し、父に従い長門萩の毛利家に御用絵師として仕え、雲谷宗家を継ぐ。のち法橋となり、流派の組織体制づくりと画風上の形式整備に努めた。正保元年(1644)歿、53才。

出典|(株)思文閣
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

雲谷等益 うんこく-とうえき

1591-1644 江戸時代前期の画家。
天正(てんしょう)19年生まれ。雲谷等顔の次男。父とともに安芸(あき)(広島県)から長門(ながと)(山口県)萩(はぎ)にうつり,毛利家につかえる。兄等屋の早世後,元和(げんな)4年跡目をつぎ雲谷派の維持につとめる。雪舟4代を称した。寛永21年2月14日死去。54歳。名は元直。別号に友雲。作品に「楼閣山水図屏風(びょうぶ)」など。

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世界大百科事典内の雲谷等益の言及

【雲谷派】より

…桃山~江戸時代の画派。雲谷等顔を開祖とし,おもに中国地方で活躍した漢画の流派。等顔は毛利輝元に仕えたが,1604年(慶長9),国替で毛利家が萩に居城を移したとき,等顔の長子等屋は広島に残り,福島正則に仕えたのに対し,次男等益(?‐1639ころ)は父に従って萩に移り,18年,等顔の没後,その後を継いだ。以降,代々萩藩お抱え絵師の立場を保持したが,等屋の子孫もおのおの萩藩に画師として取りたてられることがあり,これらを雲谷派と総称する。…

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