改訂新版 世界大百科事典 「人掃令」の意味・わかりやすい解説
人掃令 (ひとばらいれい)
1592年(文禄1)3月ごろ,関白豊臣秀次の指令によって全国一斉に行われた家数・人数の調査。1591年(天正19)3月に豊臣秀吉によって行われたという旧説は誤りである。一村ごとに家数・人数・男女・老若を区別し,奉公人・町人・百姓・職人・僧侶・神官などの身分にも注意が払われている。各地に奉行人を派遣して督励し,他国からの移住者などを厳しくチェックし,正確に家数・人数を調査する旨の誓紙を徴収している。実際に行われた調査は,毛利氏の領国の場合,家ごとに男女別の人数を数え,男の場合は年少者や高齢者などを注記することによって,実際に夫役(ぶやく)徴発に耐えうる人数を明らかにしている。また桶屋,鍛冶屋などの職人や,すでに夫役として徴発され朝鮮に渡ることになっている者を記すなど,かなり実態に即した調査であることをうかがわせる。個々の百姓の家族構成が,後家・空屋などを含めて書き上げられている。
この人掃令は,すでに秀吉によって全国の諸大名に対し朝鮮出兵の軍事動員の指令が下され,各領国内では農民に対して陣夫役などの徴発がすすめられている時期に,関白秀次によって全国的に行われた家数・人数の一斉調査であるところに歴史的意義がある。潜在的な夫役人口を把握し,すでにどの程度の農民が戦役に召し連れられているかを調査することは,秀次政権が日本全土を統治する権力として確立するために必要な前提条件であった。1591年10月ごろに関白秀吉が行った御前帳(全国の石高調査)の徴収とあわせて,村(郷)-郡-国という国制的な原理による支配を目的としたもので,封建的な主従関係による支配原理とは異質なものである。これによって,権力の分散を本質とする封建制に,国家としてのまとまりを与えようとしたと思われる。
執筆者:三鬼 清一郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報