青山久保町(読み)あおやまくぼちよう

日本歴史地名大系 「青山久保町」の解説

青山久保町
あおやまくぼちよう

[現在地名]港区北青山きたあおやま二―三丁目

矢倉沢やぐらさわ往還(大山道)屈曲部の北側にある年貢町屋。八つの区画からなり、東が青原せいげん寺・智学ちがく院、南が往還を隔てて梅窓ばいそう院・百人組同心大縄地(古川邸)、西が実相じつそう寺・持法じほう寺・海蔵かいぞう寺・出雲母里藩松平家上屋敷、北が出羽山形藩水野家下屋敷抱添地と松平家上屋敷、高徳こうとく寺。

文政町方書上によると、徳川家康入部の翌天正一九年(一五九一)伊賀の者に大縄地として給地された土地で、年月は不明だが、名主佐太郎と藤兵衛店平三郎の両人先祖が、武州荏原えばら郡世田谷村字久保から引移って百姓町屋となって自然に地名にしたといい、元文三年(一七三八)町方支配になったとき町名とした。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

[名](スル)一定の主義・主張がなく、安易に他の説に賛成すること。「多数派に付和雷同する」[補説]「不和雷同」と書くのは誤り。[類語]矮人わいじんの観場かんじょう・同意・賛同・支持・賛成・雷同・便乗・...

付和雷同の用語解説を読む