日本歴史地名大系 「青山五十人町」の解説 青山五十人町あおやまごじゆうにんちよう 東京都:港区旧赤坂区地区青山五十人町[現在地名]港区北青山(きたあおやま)二丁目矢倉沢(やぐらさわ)往還の北側にある拝領町屋で、別に往還の南側背後に飛地(現南青山二丁目)。本町の四周は道に囲まれ二区画に分れており、東が青山浅河(あおやまあさかわ)町と幕臣邸、南が往還を隔てて幕臣邸、西と北も幕臣邸。飛地は片側町で、東が幕臣邸、南が道を隔てて幕臣邸、北が青山御手大工(あおやまおてだいく)町。文政町方書上によると、徳川家康が入部したとき御茶ノ水台と湯島天神前に下された小給の者の町屋敷であったが、両所とも天和三年(一六八三)御用地に召上げられ、代地を青山下野守の上げ屋敷内に拝領した。御作事方定普請同心五〇人が受けたので町名にしてきたが、その後見習の者も増え、組内で七四ヵ所に地割を変えたという。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by